2009年12月23日 (水)

犠牲祭_12_アトラス越え再び



ワルザザートで一泊後、朝からマラケシュを目指しアトラス山脈を越えます。



山道の途中で見かけた工事。橋を作っているようです。もしかしたら日本企業が関わっているかもしれませんね。



くねくねの山道をひたすら走ると、山と同じ色の家が現れては消え、あらわれては消えます。



丁度良い時期なのか、農作業風景をあちらこちらで見かけました。
山間を切り開いた畑。
美しい風景ですが、一つ一つの畑は小さく、耕運機なども入りません。
全て人力と動物の力でこれだけの畑を維持するのは大変だろうなあと思います。



息をのむような素晴らしい絶景。
ワルザザート=マラケシュ間をつなぐ道をプランしたのはフランス人だと言う事ですが、と言う事は100年前には、ここで暮らしていた人々は、どんな暮らしをしていたのだろう、と思います。





息をのむような山の旅の後は、頂上付近のレストランで休憩です。



12時半。
日本人的には、既にランチの時間なのですが、モロッコではまだ早く、タジンは出来ていません。
周りの人々が皆注文していた、ケフタ(ミートボール)の卵閉じを注文しました。
久しぶりにちょっと違う味、みな嬉しくてパクパク頂いてしまいました。



キッチンを覗くと、沢山のタジン鍋が火にかけられていました。



特に疲れた様子もない子供たち。
大人は長旅にぐったりです。



標高2000メートル付近。
真冬は雪も積もります。



山肌から切り出したかのように見える村。
小さな家とモスクが見えます。
もちろん、ここにはお店などありません。
お家とモスクだけです。
多分、子供たちは毎日何キロも離れた学校に徒歩で通って居るのでしょう。
お買い物は、週に一回近郊の少し大きな街で開かれる市で済ませるのでしょう。



マラケシュからたったの2時間ほどのところにある山間の暮らし。
子供たちは、都会の暮らしにあこがれるのでしょうか。
それとも、ここで一生を終えるのでしょうか。



五泊六日の濃い旅も、そろそろ終わりです。
明日から、またマラケシュでの日常が始まります。

ディアモロッコ 宮本 薫
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2009年12月20日 (日)

犠牲祭_11_夕暮れ時の色



今日は午前中に出発して、ゆっくりカスバ街道を見ながらワルザザートまで移動し、一泊、翌日マラケシュに移動する予定でした。
が、予定通りに行かないのがモロッコの旅行と言うもの。
昨日砂漠で故障した車の修理が終わらず、出発は午後にずれ込みました。
時間が出来たので家の近所のカーペットやさんへ。



上から下までぎっしり模様で埋まっているけれど、なんとなく統一感があって素敵です。
何気なく飾られている古いカフェオレボールやお皿も、実は何十年も前のものなのかもしれません。



修理が終わり、家を出たのは丁度、マグリブ(日の入り)のアザーン(祈りの呼びかけ)が聞こえてくる時間でした。
サーモンピンクに染まる空の色に、遠くのモスクから聞こえてくるアザーンの声。



素敵な別れの時間を過ごした後、一路ワルザザートを目指します。



それにしても美しい空の色。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月19日 (土)

犠牲祭_10_リッサニの町



先日、国王が南部まで来られたためだと思いますが、町中がモロッコの国旗の色で飾られていました。
モロッコの国旗は赤地に緑の星。
シンプルな土の色に良く似合います。



街の反対側にあるディアモロッコスタッフの家に呼ばれていたので、外出しました。
昨夕砂漠に行った以外はひたすら家で料理をしていたので、外の空気が新鮮です。



10年前から変わらず営業して居そうな駄菓子屋さん。





モロッコの出生率は、最新のもので確か二人~三人の間だったと思いますが、田舎に来ると子だくさんな人が目立ちます。
この後ろ姿の女性も、多分1歳位の赤ちゃんを背負って居ます。
スリングの元祖の様な布で赤ちゃんをしっかり体に巻き付け、最後に写真の様な布でカバーするのが、モロッコの伝統的なおんぶのスタイルです。
最後に巻きつける布には、丁寧なフェズ刺繍が施されています。
最近では機械刺しゅうのものが増えて来ましたが、妊娠中のお母さんが、赤ちゃんを迎えるために作る布です。



リッサニの町では、週に三回大規模な市が開かれます。
このあたりでは一番大きな市で、周辺の村々から生きた動物(ロバ、羊、山羊など)、肉、野菜、果物、生活用品、スパイスなどが集まり、かなりの活気です。今回は残念ながらタイミングが合わず、市が開かれているところを見ることが出来ませんでしたが、



マーケットの中を歩きました。
今は静かなこの場所に、ワーッと商品が並びます。



ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月18日 (金)

犠牲祭_9_砂漠へ



午後は砂漠へ。
幾ら家の事を色々手伝って居るとはいえ、犠牲祭の翌日の午後丸々外出なんて、どう思われるやら・・・
と思いつつも、久しぶりの南部。せっかく来たのですから砂漠ははずせません。



リッサニの街を出ると、あっという間にこんな風景になります。
懐かしい風景。
ヤシの木と青い空のコントラストが美しい。
私は夫と結婚すると決めた時、「もしかしたらこんな風景の中で生活する事になるのかなあ。」なんて思って居たのですが、随分現実は異なり、大好きなこの風景は一年に一回、帰省した時しか見られません。将来の事は、色々考えたりプランしたりしますが、中々予測通りにはならないものです。



オアシスを抜けると現れるのはこんな風景。ちらほらと、植物が生えています。



しばらくすると、真っ白な土漠が現れました。



リッサニからメルズーガ村までは、アスファルトで舗装された道が通って居ます。
車の少ない一本道なので、レンタカーで旅行されている方も、簡単に運転できると思います。
(ただ、車が故障した場合の事は考えておいた方が良いですが。)

何年か前まで、ここにはアスファルトの道がありませんでした。
メルズーガに行きたい場合は、舗装されていない道を時速20キロ位で走るローカルバスに一時間以上もゆられていくか、4駆を飛ばして行くしか無かったのですが、道が出来てからは、リッサニの町から30分も掛からずに、メルズーガ村まで行くことが出来ます。

アスファルトの道が無かったころのメルズーガには、電気も携帯電話もありませんでした。
夜になると、頼りはキャンドルとガスランプ。
そして、町と砂漠を行き来する人が、ここの連絡手段でした。

今では、メルズーガ村には電気が引かれていますし、村から離れたオーベルジュにも自家発電があります。
そして携帯電話が通じるので、いつでも砂漠と連絡を取ることが出来ます。

便利になったなあと思う反面、個性が無くなって行くようで、ちょっと残念な気もします。



驚いた事に、メルズーガ村(砂丘の目の前にある村)に、SUPRATOURSの駅が出来ていました。

http://www.supratours.ma/FesMerz.htm

SUPRATOURSは、モロッコの国鉄が運営している長距離バスで、長距離電車のタイムスケジュールと連動して、電車が走って居ない所をカバーしています。例えば、カサブランカからエッサウィラに行く場合、カサブランカからマラケシュまでは電車で移動すると、電車の到着時間に合わせてエッサウィラ行きのバスが待っていると言う具合で便利な移動手段です。



終点のメルズーガ駅は、砂丘の目の前です。
このあたりには沢山のホテルがありますし、安宿派の方であれば、夜行バスで到着して、その場で宿泊先を決めても大丈夫。
随分便利になりました。





普通の車が入れるのはこのあたりまで。
ここからは徒歩か、ラクダに乗って砂丘を目指します。
手前の方は人が多いので、足跡が一杯。砂漠の静けさは感じられませんが、お手軽に行くことが出来ます。
本当に静かな、砂漠らしさを感じたければ、オーベルジュで案内人を付けて、ラクダに乗って数時間行った方が良いでしょう。



私たちは子連れなので、このあたりでちょっとだけ砂漠気分を楽しみます。



生後三カ月にしてサハラの砂を踏む息子。



今日のメルズーガは緑が一杯。




今回、実は砂漠をバックにディアモロッコの商品写真を撮影して、年賀状用に使おうと思って居ました。
はるばるマラケシュからバブーシュやマルシェバッグを持って来たのですが、まず、砂漠の砂が足跡だらけで、中々綺麗な所がありません。
その上、結構風が冷たくて、ころころっと飛んで行ってしまいます。
そして、斜面が急なので、ちょっと飛んだだけでとんでもないところまで行ってしまいます。



中々難しい。



赤ちゃん&幼児連れだったので、早々にあきらめました。



不思議な多肉植物。



月が綺麗です。

と、優雅だったのはこのあたりまで。
夫が調子に乗って(四駆なので)砂の上をブンブン走っていたら、砂を噛んで動かなくなってしまいました。
それ自体は良くあることなのですが、その後ブレーキパット?からおかしな匂いが・・・・
さあどうしようか・・・と困っていると、砂丘のあちらこちらからわらわらとモロッコ人たちが集まってきて、またたく間に黒山の人だかりに。
皆に押してもらって無事、動きました。
が、車をめぐって大騒ぎしている間に夕陽が沈んでしまいました。(笑)まあ、これもモロッコらしい経験と言えば経験ですが、残念でした。





家に帰りしばらくすると、一階には男性のお客さんが、二階には女性のお客さんが集まってきました。
今日は長い一日で、砂漠に行きクタクタ。一刻も早くホテルに帰ってシャワーを浴びベッドに入りたい気分でしたが、そう言うわけにも行きません。
また、シシカバブのお肉を切ったり、焼いたり、配膳を手伝ったり、お客さんたちとお話ししたり。
私は時々しか里帰りしてこない嫁なので、実家に滞在中は一挙一動が観察されている様な気がします。
普段自分が慣れているフィールドで仕事をしている時以上に緊張します

食事はこんなごちそうでしたが、子供たちの面倒を見ながらだったので、殆ど食べられず。まあ、年に一度の実家孝行ですから仕方が無いです。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月15日 (火)

犠牲祭_8_メドゥフーナ



二回目の朝食が終わったら、早速エプロンを締めて昼食づくりスタート。
ひたすら料理をする一日のスタートだ。

と言っても、今から作るのはリッサニの郷土料理、「メドゥフーナ」。
今回一緒に来ているスタッフOのリクエストで、料理を教えてもらう事になった。
観光客には「リッサニのピザ」などと言われている料理で、パン生地の中に肉と野菜、スパイスを入れて焼いたおかずパン。
この家の料理はいつも結構な量だけれど、犠牲祭二日目の今日は更にたっぷり作るらしく、物凄い粉の量。



目分量で粉を入れ、目分量でイーストと水、塩を加える。



Oさんがひたすらコネコネしている間、私達は肉と玉ねぎを切る。



脂身を結構入れる。



玉ねぎ、コリアンダー、スパイス。



玉ねぎのボールをしっかり混ぜ合わせる。



寝かせておいた生地を丸め



具を包み



キュッキュッキュと押して延ばして形を作る。



娘も参加。



焼いている間は、私たちはまた、ひたすら肉切り。
今日は犠牲祭の二日目。
メドゥフーナはいわば余興的な食事で、お客さんにはちゃんとしたタジンとケバブ(串刺し肉)を出す。



焼き上がり。
一番上の小さいのは、娘が作ったミニサイズ。



メドゥフーナは、スパイスと脂が結構凄いので、お茶と一緒に頂くことになっている。



食べ終わっても、まだまだ料理は続く。



今日は、夜親族が集まって亡くなった人のためにコーランを読む会が開かれることになっている。
午後はその準備にかかりきりになるはずだけれど、私たちは砂漠に行くことに・・・ごめんなさい。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月14日 (月)

犠牲祭_7_ホテルの朝ごはん



ホテルの朝ごはん。
馴染みの宿なので、特にリクエストをして、モロッコ風オムレツを作ってもらう。



玉ねぎとトマトを炒めて卵で閉じた「ベルベル風オムレツ」
美味しそうでしょう?



こんな風に、焼きたてのパンに付けて頂きます。



ちょっとスパイシーな香りがする、新オリーブオイル。



濃い蜂蜜に見えたこれは、デイツ(ナツメヤシ)のペースト。



朝ごはんをしっかり頂いて、夫の実家に行くと、手作りのケーキとお茶が用意されていた。
朝から食べ過ぎ。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月13日 (日)

犠牲祭_6_ナツメヤシ農家



午後、兄嫁の実家に挨拶に行くことになった。
車に乗り込んだのは、私たち夫婦、子供二人、スタッフのKさん、Oさん、夫の兄、兄嫁、子供たち三人、夫の甥。
総勢12人。
うちの車は普通の四駆。定員7人?
これぞモロッコの田舎の車の乗り方と言う感じ。

「私のモロッコの実家」と勝手に思って居る位大好きなこの家はエルフードの郊外にある。
ここも大家族で、おじいさんとおばあさんを筆頭に20人くらいのナツメヤシ農家だ。
10月に帰国して以来、美味しい新ナツメヤシを、マラケシュにも何箱も送ってもらった。
「ナツメヤシ」と一言で言っても、色々な種類とクオリティがあり、やはり産地から送ってもらうものは別格に美味しい。



収穫はほぼ終わっていたが、ちらほら残っていた。



こちらは収穫後に残ったナツメヤシの枝と、最下級のナツメヤシ。
これはこの家の家畜のえさになる。
レベルが低いものと言っても、ナツメヤシはナツメヤシ。
スペインのイベリコ豚ならぬデイツ羊。
この地方の羊は、柔かいのに歯ごたえがあり、味わい深くて非常に美味しい。デイツ効果?





オリーブの実も沢山なっていた。
まっ黒になるまで熟してから収穫するつもりなのかな。すでに結構柔かい。





家畜小屋の中にはロバの母子も。
赤ちゃんロバの写真を撮ろうとしても、常に母ロバが手前に出てきて赤ちゃんを守ろうとする。
それはそう。嫌よね。

母親は赤ちゃんの気分を、赤ちゃんは母親の気分を敏感に察するものだけれど、オリーブ畑でのお散歩、気持ちいなあ~と思って居ると、赤ちゃんもご機嫌。誰にあやされている訳でもないのに、終始穏やかな表情でリラックスしている。



家畜小屋の一角につるされた羊。
良い感じに脂が載っていて、乾燥していて美味しそう。



古い建物の一角には、古い竈が。
新しいキッチンもあるけれど、こちらの方がずっと美味しくパンが焼けるのだとか。
竈の上にかかっているのは羊の頭。
丸一日かけてゆっくり焼いて頂くのだそう。
火の前に居るのは甥たち。
過保護な私は、ついつい「火のそばは危ないからこちらに来なさい。」と言いたくなるけれど、この子たちのお母さん(私の兄嫁)が何も言わないので黙っている。
こうやって、火の扱いや危険なものへの近付き方、加減を覚えて賢くなっていくのだろうなあと思いながらも、ちょっとドキドキする。

居心地が良くてついつい長居してしまい、結局お夕飯まで頂いてしまった。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月12日 (土)

犠牲祭_5_羊を屠る



犠牲祭当日。
夫の実家の二階に行くと、今日屠られる羊が繋がれていた。
家を出たすぐのところでほふる事になる。



何気なく立っている男性の手にはナイフが。



羊の周りに集まってくる子供たち。
今回の犠牲祭の前に、三歳の娘にどういう話をしようかなあと考えてみたのだけれど、マラケシュで事前に説明するのも難しいので、
特に何も説明していなかった。
「ママ、ママ、羊さんはどうなるの?羊さんに何するの?」と朝から何度も話しかけてくる。
「今からね羊さんをお肉にして、皆で食べるんだよ。」「どうして?」「いつも食べているお肉も皆そうやって食べているんだよ。」「どうして?」
ん・・・大人にも難しい質問。三歳児に説明する事は難しい。

予想通り、見たがらなかったので、スタッフのOさんと二人でずっとサロンで待っていたのだけれど、それでも結構怖かったのか、「ママ、羊さんは?羊さんは?」と聞いてくる。ここで生まれ育った子供たちにとっては、ごちそうが沢山食べられる晴れの日で、生きている羊がお肉になることについても見なれていて、自然に受け入れられることだから、皆は嬉しそうなのに、娘は大混乱。
文化が違いすぎて混乱して可哀そうだけれど、慣れるしか仕方が無い。



モロッコの伝統的な家は、一階は男性のお客さんをもてなすスペース、二階は女性と子供たちのスペースに分かれている。
犠牲祭当日の夫の実家には、お客さんが沢山来るので、一階の男性客をもてなすため、二階はレストランの厨房状態。



ひたすら一日中、肉を切り、ネギを切り、



スパイスで味付けし



炭で焼く。
これをひたすらひたすら繰り返す。
作っているテーブルで、お客さんが途切れた隙にササッとほうばっては、また肉を切る。
私はお肉のカットばかりしていたのだけれど、モロッコの切れない包丁で、腱が吊りそうだった。

生きている動物が目の前でほふられて、そのお肉を切って、焼いて食べる。
と言う事には、色々感じることがあるはずなのだけれど、そんなことよりも何よりも、ひたすらお肉を切って焼いて切って焼いて・・・
絶えず一階から「次の串はまだか?お茶はまだか?」とリクエストがあり、考える暇のない肉体労働で気が付くとお腹がペコペコ。
「あなたたちも食べなさい」と言われて回ってきた串を見ても、「さっきまで生きていた羊が・・・」とか考えるよりも先に、「あ~お腹すいた!美味しそう。頂きます!あ~美味しい!」と言う感じ。

食べるって言う事は、頭で色々考えることじゃないなあと思う。



羊のレバーを脂身で包んでさっと焼いたもの。
口の中でとろける旨さ。

美味しいから食べてみなさい。と娘に言うと「ママ、ママ、このお肉は羊さんのお肉?お肉食べると小さな羊さんが出てくるの?羊さんはどこに行ったの?」と。



モロッコでは、肉の串焼きはあくまでも「前菜」とか「おやつ」の位置づけ。
お昼はお昼で、こんな塊のお肉を頂く。
犠牲祭のお料理は、羊や牛を頭の先から足の先まで無駄なく頂く。
モロッコの主婦の腕の見せどころだ。
普段、お手伝いさんに料理を作ってもらって居る私は全然ダメなので、ただひたすら肉をカットする係。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月11日 (金)

犠牲祭_4_牛を屠る



リッサニに到着。実家の家族と挨拶もそこそこに、向かったのは近所の空き家。
今年は、夫が牛を、夫の兄が羊を用意した。
羊は犠牲祭の朝ほふるが、牛も両方当日と言うのは無理なので、牛は今日(犠牲祭の前日)ほふる。
犠牲祭の前日はとにかくみんな忙しいので、本当は昨日か、午前中にしてしまいたかったらしいのだけれど、夫が断固反対。
私たちの到着を待っていてくれた。

牛のすぐ横で、正装した男性たちが祈る。
神への供物だから、その隣で祈るのも当然と言えば当然なのだけれど、随分迫力がある。
一昨年の犠牲祭も、割礼のお祝いのために牛を屠った。
でも、屠る前の牛を見るのは今回が初めて。
結構大きいし、羊よりも生々しい。
せっかく私たちに見せようと、待っていてくれたのでほふられる光景を見ようと思うけれど、羊とは違う感じ。
羊がほふられる光景も、10年ほど前に初めてみた時は、非常に印象的だった。
今でも見るたびに、お肉を食べることの意味とか、命を頂くことのありがたさを感じるけれど、いつの間にか慣れてしまい
特にショックは無い。

でも、牛は違う。
自分よりも小さな動物と、自分よりも大きな動物の違いだろうか。
私とスタッフのKさんは見学、もう一人のOさんと子供達はお留守番。



羊は大きくても40キロ位なので、大人の男性たちが抑えつければ簡単に屠れるが、100キロを超える牛はそうはいかない。
屠るのも難しいらしく、専門の人が足をしっかり縛る。



屠る現場には近所の子供たちが一杯。
皆静かに見ている。



ロープで縛り終わり、横倒しにして、五人がかりで押さえつけて一気に屠る。



羊もそうだけれど、絶命した後もまだ動く。



物凄い量の血。バケツに3、4杯あった。
イスラム教では動物の血は食べないので、牛の解体作業の隣で家族の女性が黙々と片付ける。
匂いが凄い。

こういうのをてきぱきと片づけられる女性は凄いなあと思う。
ちょっとこのブログには掲載できない位グロテスクで、私は見るだけで精いっぱい。



牛の解体作業の中で一番忘れられそうもないのがこの工程。
牛の胃袋の中身をゴミ袋に空けているところ。
大人二人かかりで必死で持ち上げて始末している様子は、それまでの、動物がお肉に変わって行く壮絶な作業や、物凄い血の海を超えるインパクト。
はっきり言ってかなり汚い。
これを食べているのか~。
そうか・・・・。



羊の場合は、屠ってから血抜きのためのしばらくぶら下げて置くが、牛はすぐに解体してしまう様子。
終わるまでに二時間ほどかかるから、お茶を飲みに来てと誘われ、クサール内を歩く。

クサールと言うのは、モロッコ各地に点在する「要塞化された村」の事。
要塞化された村?と言うと分かりにくいが、二階建+テラス(屋上)の住居が横に連なっている集合住宅だ。
中は、外部の人が入っても分からない様に、細く暗い道が入り組んでいる。
建物は日干し煉瓦で造られており、足元は土だ。
写真の様な真っ暗な所では手をひいてもらわないと何も見えない。

夫の実家も、築数百年のクサールの一角にあるが、入り口のすぐ近くのため、こんなに奥まで来るのは初めてだ。



薄暗い道を歩く。
この建物に数百年の昔から人が住んでいたと思うと何だか凄いなあと思う。
大学時代文化人類学を勉強していたので、当時はこういう建物を見ると、客観的に興味を惹かれたけれど、今となっては、私の子供たちの祖先が暮らしていた場所だ。そう考えると何だか凄いなあ。



一人では迷子になりそうな道をくねくね行った先に、お茶に誘ってくれたHさんの家があった。
彼女は、多分18歳くらいで、数年前から夫の実家に家事手伝いに来てくれている。



うちに上がらせてもらう。
水色の壁に赤い布やラグの組み合わせがとても素敵で写真を撮らせてもらったけれど、この家、これからの季節とても冷えるだろうなあ、と思う。



さて、うちに帰ると随分作業が進んでいたので、早速シシカバブ作りが始まる。
写真はフィレ肉。ん~美味しそう。新鮮でピカピカに光っている。



お肉をひたすら切り続けること30分。
カットしたお肉を、油、玉ねぎのみじん切り、香草のみじん切りであえてしばらく寝かせる。



さっと焼いて、犠牲祭一日前からお肉三昧生活のスタート。
今日は、ワルザザートからリッサニまで移動して、牛を屠るところを見て、お肉をひたすら切って、食べて、沢山挨拶して。
犠牲祭本番は明日だと言うのに結構疲れた。

ディアモロッコ/宮本 薫
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2009年12月10日 (木)

犠牲祭_3_カスバ街道



ワルザザート泊の翌日は、ホテルで朝食を頂いて出発。
ワルザザートからカスバ街道を、ただただまっすぐひた進む。
こんな、本当に何も無いまっすぐな道。
モロッコの大好きな所は色々あるけれど、日本に帰国している時に一番懐かしくなるのはこの風景。
ただひたすら広い空にまっすぐな道。
時々村が見えてきては消えて、ヤシの木のオアシスが見えては消えて、赤い風景がだんだん黄色くなってきて、砂漠の砂がアスファルトにまで押し寄せてくると、夫の産まれた街が近づいてくる。

モロッコの南の町を旅する感じが大好きだ。



マラケシュでは見かけない紅葉。



モロッコ在住でも、中々ここまで来ないので気分はすっかり観光客。
手書きのKODAKが可愛い。



三か月の息子は、こんな長距離ドライブは初めて。
一時間半くらいで休憩を取る。
街の名前は「カラーエルムグーナ」香料用のバラの産地として有名な小さな町だ。



結構寒いので、産まれる前にパリのボンポワンで買ったニットを着せてみる。
一度も袖を通さないまま小さくなってしまうかと思ったけれど、良かった。まだ着られる。
産まれる前に想像していた赤ちゃんの顔は、「娘の顔の男の子版」。だからこういうニュアンスカラーも似合うかなあなんて思っていたのだけれど、産まれてきた子はちょっとタイプが違う。
でもまあ良いか。暖かければ。



バラの産地と言っても特にお洒落な町では無いので、こんなカフェしかない。
大人は良いけれど、子供(特に赤ちゃん)が居るとちょっと不便。
今回は、荷物が多すぎてベビーカーが載せられなかったので、片手抱っこでカフェオレを頂く。
一緒に旅した二人のスタッフたちが助けてくれるので本当にありがたい。



お隣に見えるのはバラのお店。
ローズウォーター、精油、石鹸などバラ関連商品が山ほど売られている。
物凄いキッチュなピンク色の石鹸は、「ナチュラルな色」と言うけれど、ん・・・・どうなんだろう。
ローズウォーターは、バラの花びらから精油を取る際に分離される水のはず。
バラのシーズンは5月で、生の花から一気に作ってしまうはずで、次のシーズンまでは延々と在庫を売り続ける事になるはず。
防腐剤とか何も入って居ないと言うけれど、なぜ痛まないのだろう?不思議だ。



カスバ街道をひた走る。
写真は撮れなかったのだけれど、ボマルダット、ティネリール辺りでは、女性たちが黒や白のレースを体にまとっていて素敵だ。
大きなレース地を片方の肩のところで縛っているだけ。
丁度、お坊さんの袈裟の様なスタイルで、実用的な意味は無い。
透けているので、体を隠すと言うよりは、飾りだ。
ティネリールのあたりは白いものが目立ち、ボマルダットのあたりは黒いものが目立つ。
同じように見えて、少しずつ模様が異なる。

どんな意味があるのだろう。
例えば結婚した女性は皆レースを見に付けるとかそんな決まりがあるのだろうか。
洋服やジュラバの上から、目立つように付けているので、象徴的な意味があるのだろう。



いきなり、ラクダの群れに遭遇。
道路を悠々とわたって行く。
どこから来てどこに行くのだろう。



まさか野生?と思ったら男の人が一人だけついていた。
ん・・・不思議。



何だかちょっと蜃気楼みたいな。



「もう少し走るとね~ジョルフって言う黄色い町が見えてくるよ。建物が皆黄色くて、緑のヤシの葉と調和して綺麗なの。」
と現れたジョルフの町。
あれ、黄色いところはほんの一部だけであとはマラケシュピンクになって居た。
窓枠とか、ドアの枠とかに黄色が少しだけ残っているだけ。あれ~?
黄色い町はどこに行っちゃったの。
黄色が素敵だったのに・・・
スタッフが一言。
「でも、この町の人々も、マラケシュみたいなピンク色に憧れていたのかもしれませんねえ。」



まあ、そうかも知れない。
二年も来ていないと色々と変化がある。
写真の二台に乗っているのは、このあたりの女性たち。
黒い柔らかい布(レザール)に包まって居る。

最近では、色ものの布を被った女性も良く見かけるが、この黒い布が昔ながらのスタイル。
アラブ女性は黒一色、ベルベル女性は黒地にカラフルな刺繍が施されたものを身につける。

モロッコの民族衣装と言うと、ジュラバが有名だが、ジュラバはもともと男性用のコート。
それを女性解放のシンボルとしてフェミニストが身につけ始め、現在では女性用の衣類として定着したと言う歴史がある。
このあたりでは、まだ、「ジュラバで外出ははしたない。」と考える人も多い。

ディアモロッコ/宮本 薫
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